貧困英語
2004年にスーダンのダルフールの虐殺についての記事を
たまたま目にしました。BBCのウェブサイトで英語で読んだ
ものだったと思います。
そして、decapitate(〜の首を切る)という単語との出会いが
とりわけ印象的でした。「ああ、いまだに人が人の首を切るなどという
ことが、スーダンでは起こっているんだ、それがこの世界の現実だったんだ」
と深く感じ入らずにはいられませんでした。そして、私が人生の時間のほぼすべてを
すごしてきた、この日本の東京という都市での生活に対し、それが空虚な仮想空間であるかの
ような、隔絶感を覚えました。
「もうごまかせない。世界に罪もなく『死』へと追いやられている
人々が無数にいるにもかかわらず、その現実を見てみぬふりをして生きたのでは、男がすたる」
そんな気持ちになりました。
私の場合、そういう気持ちは、1つには募金という形で現われました。2004年から2005年にかけて、
6ヶ月にわたって毎月10万円を目標に、UNICEF、アムネスティ・インターナショナル、オックスファム、
ワールド・ビジョンといった団体に募金をしました。
自分でも、毎月10万円というのはかなりの金額だな、と思いました。そんな金あったら、自分が保証人に
なっている親の借金の足しとかにした方が無難なのではないか、と思いました。
しかし、その当時の自分の身分は塾のアルバイト講師で、同年代のふつうに就職した人に比べて、将来性・安定性には欠けるものの、収入は多くありました。多く働いていたころだったので、月収40〜45万円くらいありました。
親の借金を払わなくてもだれも死にはしませんが、世界には自分が出すお金によって命を救われる人がいる
かもしれない・・・そう思うと、やはり募金をしないではいられませんでした。
それと同時に、いわゆるチャリティ団体が、本当に無駄なく募金を活用してくれているのか確信が持てず、不安に
思いました。せっかくがんばって募金をしても、それが悪い人によって私腹を肥やすために使われたら、やってられない、そう思いました。
それでも、本当に困っている人にお金が届く「可能性」があるのだから、その可能性にかけるべきだ、と思いました。そしてその可能性に対して、実際にお金を出しました。
しかしだんだんとむなしさが積もってきました。なぜなら、あまりにも貧困の問題は広大であり、自分が10万円をがんばって投入したとしてもそれはいわば「大河の一滴」に過ぎず、目に見えるようなインパクトを生み出すとは
とうてい思えなかったからです。自分のお金は毎月失われる、そして何のいい結果も生み出されていないかのように見える・・・そういう状態がいやになってしまいました。
そこで私は、実際にNGOにボランティアをしに行くことにしました。お金をささげる側に回るのではなく、自分の時間と労働力をささげる側になってみよう、そう思いました。2005年に私が関わったNGOはオックスファムと日韓アジア基金でした。
オックスファム関連書籍の一例
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